ビーニャ ファレルニア Vina Falernia
計り知れないポテンシャルの素晴らしいワイン畑に変貌させる
エルキ ヴァレーに住むアルド オリヴィエ グラモラと、イタリア トレンティーノでエノロゴを勤める従兄弟ジョルジオ フレッサティとの出会いから始まりました。1995年に観光で初めて訪れたフレサッティは、ピスコ(ブランデー)用の葡萄を食べてその品質の高さに驚き、「どうしてこの素晴らしい渓谷でワインを造らないのか!」とアルドに伝えました。それからというものフレッサティは風や湿度、気温などの気候条件を数時間おきに、毎日計測し、徹底的な調査を行ないました。調査は2年間続き、1997年にベストだと判断した場所に葡萄を植えました。それまで生食用やピスコ用の葡萄しか造られていなかったこの地でワイン造りを始めることは革新的な出来事でした。情熱と技術、チリの大学のアグロノミストのサポートによって、主要な生産地からはるか遠く離れたエルキ ヴァレーを、計り知れないポテンシャルをもった素晴らしいワインの畑に変貌させるという目標が、二人の原動力になっています。
非常に乾燥していて、風も強いため、病害の心配がほとんどないので、台木に接木する必要もなく、自根で栽培できる。限りなくオーガニックに近い栽培が可能。
タンクやボトリングマシーンはイタリアから輸入したものを使用しています。ステンレスタンクは、温度を同じに保つため、厚さが12cmもあるものを選んでいます。赤ワインの発酵タンクの上には2本のピストンがついており、果帽をこのピストンで突き崩し、マストの中に沈めます。伝統的なポンピングオーバーよりも、マストに負担が少ない、やわらかな抽出が可能となります。熟成用の樽は、フレンチオークもアメリカンオークも、フランスのタランソー社のものを使っています。フレッサティいわく、「フランスのメーカーによるアメリカンオークのほうがエレガント」。瓶詰め前のフィルターは、赤は1回のみ、白はマロラクティック発酵をしないので二次発酵を避けるため、2回通します。ワインのラベルは、古代のインカ帝国がこの地に来る前に生息した先住民族、ディアギータ族が陶器などに使用していたシンボルマークを入れています。地元の美術館で見つけ採用しました。エリアの歴史や文化を継承する意味でも大事なことと考えています。
歴史
1972年
アルド グラモラは、結婚してエルキ ヴァレーへ移住し、ピスコ用の葡萄栽培を開始。
1995年
観光で訪れたジョルジオ フレサッティは僅か2時間でワイン造りを決意、気候などの調査を開始。
1998年
ビーニャ ファレルニア設立。畑を耕し、葡萄を植え始める。ピスコ工場にタンクを2~3個増設し、ワイン造りを開始。
2004年
ワイナリー建設。ピスコ造りは止め、ワイン造りのみに。
2009年
ジョルジョがワイン会社を辞め、チリに移住。ファレルニアに専念。